2015年10月12日

お引越しをします

引っ越しました(リアルで)。
だからというわけでもないんですがまあだからということでいいか。ブログをワードプレスに移行します。あちこちに散らばっている別名義業を集約できる予定です。
サイトはこちら

移転だ移転だ!わー!インターネットみたい(インターネットだよ)。

10/16追記
上記のサイトでどうもうまくワードプレスが動かせないのでこっちに移動しました。たぶんこっちで行けると思います。あっちこっちいってすみません〜よろしくおねがいします。
posted by かなむら at 23:16| 広島 ☁| 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月03日

可愛い女の子に性欲を感じる自分が嫌いです

ご無沙汰しておりました。
花粉の影響で現実と自分のあいだに一センチくらいの分厚いクッションが噛ませてあるみたいな感じで殴っても殴っても現実に接触できない気がする。離人感というのとはたぶん違うんだけどただ単にイライラする。

なにやってたかというと11月から3月にかけて同人誌を個人誌14種+合同誌を3種出しました。おれはなにをやっているんだ。楽しかったです。まあそのへんに関してはまた今度書くかもしれないし書かないかもしれない。

なんかこんなこと書きたくねえなあと思いながら向き合わざるを得ないだろうと思って久しぶりにエントリを書こうとしているのでまとまっていなかったらすいません。なんかほんとこんなこと考えずに生きていくつもりだったけどそういうわけにもいかないもんだな。

女性にしか性欲を感じませんが、性欲に対する嫌悪感があります。

というわけでまあ恋愛感情と呼んでいいだろうと思われる感情を抱くと自分に対する嫌悪感が激しい勢いでやってくるので相手との関係はぎくしゃくするし自分は嫌いになるしでほんとうにいいことないのでできるだけこう……恋愛感情っぽいものを……持たないように気をつけていたわけです。ここ数年。わたしの創作に出てくる女性が恋愛に対して基本的にアンハッピーな感情しか抱かないのはそのへんが絡んでいるのだろうと思います。というかもともと男性キャラクターだって恋愛に対してアンハッピーな感情しか抱いていなかったんだけどそこはここ二年くらいでどうにか脱出してきた、きたと思う。多分かなりできてると思う。

人間関係に対してハッピーでポジティブな感情を持てるようになる、恋愛に対して、またセックスに対して、性欲に対して、嫌悪感を抱かない、それが存在するということを受け入れる、というのが目標としてあって、そのために小説を書いている部分がかなり大きくあります。
「人間が人間であることを憎まない」「成長と成熟を憎まない」それから「男が男であることを憎まない」っていう、まずそこからのスタートで、それは小説を書くうちにどうにか片付けることができて、いまわたしは男の人に話しかけるとき緊張しなくていいし、慎重に距離をはからなくていいし、話しかけられても笑って答えることができる。たぶん。それは小説のなかで男が男であることについてずっと考えたからで、もっというと男が男であることを解体して男女の境目をぐずぐずに(わざと)していったからだと思います。「受という性別」的な。

で、まあ、わりとこう……女性キャラを書くことから逃避していたわけなんですが……今週突然降って沸いたように男女カップリングに突然萌えてエロ小説を書こうとしはじめて……ええとまあアニメがすごく良かったからなんですけど。書こうとしはじめた結果自分の性欲(自分の性欲!)と正面切って向き合わなくてはならないということに気づいてものすごく死にたくなっています。

女性を扱ったポルノを書くのははじめてです。
三年前に男性を扱ったポルノを書き始めたときのそれは半分の好奇心と半分のマチズモに対する憎悪で成り立っていました。憎悪が解消されて以降はごく単純にエンターテイメントとしての興味とあとは愛玩動物の睦みあいを慈しむ気持ちで書いていたわけです。
しかしここに自分の性欲というでかい壁が立ちはだかったのだった。
早急にどこかあたたかい穴に潜り込んでノイズキャンセリングヘッドフォンを頭からかぶって暖かくして寝たい。しかし自分の好きな女の子にいやらしいことをしたいという感情そのものはそろそろいいかげん受け入れたほうがいいんじゃないのか。ていうか受け入れつつあるから書いているんだろう。受け入れつつあるから書いているんだろうとは思うけどパソコンの画面を眺めながら数時間固まっている数日を送っているわけでだな。

いやこんな話しないでぽんぽん小説書いたほうがいいんですけどね。こんな話されたら読みづらいだろ。しかしなんかこうどっかでこの話しないとだしノートに書いてても煮詰まりそうだったんでそういうわけで頭を抱えてぐだぐだやっていますという話でした。全くまとまりがない。

というか、セックスが嫌いならポルノなんか書かなきゃいいのにいったいなにを頑張っているんでしょうね。ポルノを書くことでなにかをブレイクスルーしたいんだよ。あと嫌いなものを再調理して好きになりたいという側面も含まれているしそうしてもちろん自分の性欲もそこに確実にある。
毎日半泣きです。小説が書けない.com。

かなむらさんの明日はどっちだ!
posted by かなむら at 18:58| 広島 ☔| 二次創作色々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月17日

保健室依存症

Bxs4oryCMAAc6Uc.jpg傘を開いて、空を」より「胡桃の中のふたり」から


7/23に作ったワートリアカウントを9/16に消しました。理由はおおむねいつものやつであり、つまり広場恐怖です。
 ブログ書いてなさすぎてなにをエントリにしてなにをエントリにしてないのかぜんぜん思い出せない次元に到達しているのでいいかげん頭から読み返さないといけないんだけどおおむねしんどいんだよね! おおむねしんどいしか書いてない気配あるからね!!
 ともあれいま広場恐怖で記事検索かけてみたら一回もちゃんと書いてなかったので広場恐怖の説明をしますがこれは「わたしの症例」であって「みんなこう」ではないと思うし、ていうかわたしの症例が広場恐怖という定義でいいのかもよくわからない。うちの主治医は病名をはっきり言わない人なんですが(なので処方された薬で病名的にはどういうあたりにあるのか自分で判断するみたいなことを……)(や、まあ、病名なんてどうでもいいんですけど、他人に説明するとき不便)、診断書が出るときには病名に広場恐怖と書いてあるのでまあ広場恐怖という診断でいいんだろうと思っているだけです。
 要するに不特定多数の群衆に対する恐怖感を定義して広場恐怖と呼ぶんだと思います。昔から群衆に対する恐怖心というのはあったんですが、パニック障害の発作(これ自体は閉所恐怖由来でした)以降加速してまあ持病ですねという感じです。一時期窓のないところにはけっして行けない、地下街で呼吸ができないというレベルでこじらせていた閉所恐怖のほうは収まって地下街のドトールで四時間(万年筆と)くだを巻くことなどが可能になりましたが、広場恐怖のほうはなんか収まらないどころかどんどんダメになってる気がするな。やばいな。どうにかしないといけないな。

 ともあれ広場恐怖がインターネットにまで敷衍され、時々、不特定多数の人が数値化されているTwitterというシステムがとても不愉快になってアカウントを消すことになります。今朝ももうひとつアカウントを消したので(liveindystopiaというほぼ閲覧専用になっていたアカウント)、明日になっても治まらなかったらついにbkydを消す流れだと思います。まあbkydもtakatouminasiもそのうち復帰させるつもりではあるんですけど。

 仕事を辞めてから二週間もたった今頃になって広場恐怖が進行しているというのはあれだ、血行が良くなったら肩凝ってることに気づくとかそういう感じで、ちょっと正気に戻ったときのほうがよりいっそうダルいみたいなことだと思います。
 あとこないだまで躁病だったから反動でダウンしてるんだと思う。



 takatouminasiというアカウントは、先日までここで実況していた小説の文脈で言うと「保健室」でした。文脈は説明しなくてもおおよそわかってくださると思うんですが、「シェルター」という言い方でもいいと思います。
 広場恐怖の症状自体はえーと8月くらいからずっと出ていて、他人こわいがあって、bkydはまあ600人くらいにフォローされているアカウントではあるのでこわいの範囲が広いわけですね、こわいの範囲が広いので、ログインできなくなって、保健室登校をしていた、つまりtakatouminasiのほうに篭っていたわけです。

 ときどき二次創作用のアカウントというのを立てるんですが、二次創作のアカウントを立てる理由は面倒くさいことに巻き込まれたり人間関係が鬱陶しくなった時にインスタントに尻尾切りをするためなんですが、しかしあれはうまくハマるとほんとうに心地よく過ごせる場所で、うまくハマるというのはつまり「余計なことは考えなければ」ということです。思想的に合致しないかどうかは考えない。許せない発言があるかどうかは考えない。わたしが嫌いなもの(コピペbotとか)をRTしていることも見逃すし、わたしにフォローの挨拶をしてくることも笑って見逃す。そこにある空気のなかの心地よい部分だけを抽出してふわふわとただよっていればいい。
 逆に言うと、ふわふわとただようことができない場合、趣味だけのつながりというのは致死的に危険なだけのものになります。趣味の合う人となんか繋がらない方が絶対に良い。趣味が合うからといって思想的にも合致する可能性はほぼ皆無だから
 保健室は無感覚になるための場所です。そこでは思考することは敵です。やさしい先生にいらっしゃいと言われて、清潔なシーツにくるまってただ眠ればいい。純化された愛だけがあればいい。純化された愛のことを萌えと言い換えてもいいです。
 愛だけがある場所でシーツにくるまって眠るのです。ほかのことは全部忘れて。具体的なことを考えると下痢が止まらなくなるのです。具体的なことを考えるのをやめなくてはならないのです。架空を生きなくてはならないのです。保健室が必要です。
 そして二次創作というものをそういう場所として愛している人はたぶん多いんじゃないかと思います。

 まあ、そういう場所で循環みたいな話を書く意義は正直、皆無だと自分でも思っていますよ。

 わたしはtakatouminasiのフォロイーさんを愛していました。真っ先にあそこから消したのは憎悪を抱きたくなかったからです。彼らがわたしにとってただの群衆(それはわたしにとって敵と等価の意味を持ちます)になってしまう前にわたしは消えなくてはならなかったので、アカウントは消滅しました。
 広場恐怖が収まったら保健室をまた取り戻しましょう。わたしには(たぶん、まだ、この先も、)保健室が必要です。



 循環という話、かなり軽い感覚ではじめた話だったはずなのに、途中からかなり明晰に「キャラクター消費なんてクソだ」という話になっていて、わたしとしてはそういう話を書けたことに満足していますが、実際問題としてわたしは湯水のようなキャラクター消費に溺れて生きているのであり、自分を殴っているのであり、そのことをおまえはどう思っているのかというところでまたひとつ苦しみがありなにをやっているんだろうなあという感じです。

 キャラクター消費はクソだと思っているが、キャラクター消費だけが保健室である。
 ダブルスタンダードだ。
posted by かなむら at 12:11| 広島 ☁| 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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