2014年07月31日

ラブコメ書かなきゃ地獄と承認欲求からの開放(欲望note4)

うたプリの作風とワートリ、違ってて驚きました。ワートリではラブコメはしないご予定で?

 ついに俺はpixivに小説を上げてしまった……………。

 というわけでうたプリのかたがワートリ二次も読んでくださったみたいでありがとうございます。
 お察しのとおりワートリではラブコメは封印しました。
 でもうたプリ全体像を眺めるとラブコメほのぼの以外(キツくて重いやつ)もそれなりに本数書いてるので作風変えというほどの感覚もわたしはないな……。一番気に入ってるのは「感情の全て」だし。
 そしてワートリではラブコメは封印したつもりだけど気がついたらラブコメとまでは言わなくてもふわふわした良い話を書いている傾向にもあるので封印もしきれてないな……。
 つうかデュラのときのわたしを知ってる人はむしろ黒バスやうたプリのやつを読んでどうしたんだ発狂したのかこの人と思ってたのでは(じっさい大丈夫なんですかと言われたことがある)……。
 デジモン(オールキャラほのぼの)→NARUTO(JUNE)→デュラ(猟奇)→黒バス(原作沿いシリアスとほのぼのパラレル)→うたプリ(ラブコメとオールキャラほのぼの)→ワートリ(原作沿いシリアス)なのでワートリの作業としては黒バスのやり直しっぽいですね。

 ラブコメ封印、を今の目標にしてやっています。

 目標というか、それをしないとちょっと生命の危機を感じました。

 友人にも言われたんですが、仕事(接客)で他人に良い顔をして、家に帰っても小説でできるだけ人にウケる話を考えて、親にも良い顔をして、その結果メンタル追い詰められてパニック発作を起こしたので、まあアホかと。ちょっと自分のキャパシティ考えろと。ていうか、「つねにみんなにウケないといけない」っていう強迫観念を捨てろ、みたいな感じです。
 申し訳ないんですけど、うたプリアカウント(下田灯)の運用中に、けっこうなんていうかこう、ウケたというのがあって、褒めていただいたのはとてもありがたく思うべきなんですけど、「ウケたくて必死で書いた」ものが「ウケた」ことによって、「もっとこういうの書かなきゃいけない」になっちゃてすごいプレッシャーの海に溺れてしまい、ついでに仕事上のストレスも重なってちょっとメンタルすごいことになったという経緯がありまして、そしてそれはミャー地さんとその書籍版を通じて起こったこととまあ、だいたい、同じことでした。2013年はそういうことばっかり繰り返していたわけです。

 というわけで、2014年2月くらいから二次創作自体をずっと絶っていて、二次創作はもうやめると公言していたのですが、まあ、……こういう顛末ですよ!!!!! 一生辞められねえよ!!!!!
 ということでできるだけこうメンタルの安定を図るために、
「長編小説をガチでやることによって、他人からの評価に振り回されずきちんと自分で自分を認められるレベルの話を書く」
「ネットに上げるのは長編の素材」
「ラブコメおよび良い話やほのぼのを書かないように気をつける、とにかくウケるためには書かない」
というルールでやるようにしています。やれやれどうなることやら。






 でも正直すでに承認欲求に苦しめられて躁状態。






>同人と嫉妬との付き合い方について、かなむらさんのアドバイスいただければ幸いです。自分は嫉妬心が強く、同カプ小説のブクマが400超えているのを見てはギリギリし、知人のとらのあな予約本が「文庫本、248ページ」とあるのを見てはガーンとなります。それでいて性質が悪い事に「あれくらい自分だって」「書こうと思えば長いのかけるし〜(※MAX60ページがやっと)」「自分には自分の世界があるから」とモヤった後に自己正当化してしまいます。せめて嫉妬→向上心に火がつく…ならまだマシなのですが。どうしたらこのような性質に活を入れられるのでしょうか。
>元プロ作家志望でしたが、色々あって書けなくなり筆を置いています。諦めたつもりでしたが、最近、創作が楽しそうな人やデビューする人を見ると嫉妬でダメージを受け、だんだんとフィクションの本そのものにまで嫌悪がつのり、感情のドロドロに参っています。こうした嫉妬心や執着に関して、どのように心の整理をしていけばいいと思われますか?

 嫉妬はわたしの範疇外ではあるんですが。

 承認欲求の話をします。

 どうして嫉妬がわたしの範疇外かというと、基本的にそういう感情が欠けているからです。たぶん自己評価が低いからじゃないでしょうか。「あいつにできることができない俺は生きている意味がない!死のう!」みたいになりがちです。たぶん嫉妬する人というのはそこで死のうが来ないんですよね?
 あるいは「どうやったらこれ書けるんだよ分析しなきゃ……!」なんだよな。
 なんだろうな、そりゃ金持ってるとかいいもの食ってるとかに対していいなーという感情がないわけではないんですけどアレな、下見て暮らせと言われる程度の階層の人間すぎて「まあでも毎日メシ食えるだけマシじゃん」みたいになってるのかもしれません。嫉妬とはあまりご縁がないです。恋愛しないせいもあるかもしれない。

 というわけで嫉妬の話はできないので、承認欲求の話をします。どちらにしろ作品を作る上でのノイズということで多少お役に立てるのではないかと思う。

 12日からだと思うんですけど、ワートリで毎日更新を初めまして、きのう途切れさせるまで18日書いてたんですが、毎日更新マラソンをやっているとねえ、疲れるからだと思うんですけど「カナチャン今日も書いたよ!えらい!?ねええらい!?」みたいな幼児が脳内に出てきててうるさくて、出てきてる幼児に対して適切な飴を与えることができれば黙らせることができるはずなんですが、毎日更新して疲れてるので、ついついほっといてしまううちに、膨れ上がって高校生くらいまで育ってしまって、「えらいって言えよ」って言いながらバッドを振り回しているみたいなそういう……。
 承認欲求なんかもう3年くらいまえに枯渇したつもりだったんですけど。
 
 昔承認欲求の鬼だったことがあるのでよく知ってますが承認欲求というのはスコアが伸びれば満たされるものでも誰でもいいから褒められれば満たされるものでも全然なくて、「自分が認めた誰かが承認してくれる」か、「自分の中で帳尻があう」かじゃないといけないものだという認識をしています。
 ようするに、他人ベースのものの見方をしている限り承認欲求は満たされない。

 だからわたしの場合、他人ベースの評価(ふぁぼであり即興小説やpixivスコア)をシャットアウトするしかないんだけど、これを他人に勧めていいのかどうかはわからない。

 わたしは承認欲求の虜になるとただひたすら書きまくるようになります。字数というスコアだけを積み上げ、積み上げることによって自分を肯定しようとする。「俺はとにかくみんなより書いてるんだから」ということだけで自分を評価しようとする。
 それはでも自分の尺を超えたレベルで書きすぎて体を壊す結果になるので、結果的に、作品作りの役に立っていない、瞬発力にはなっているけど持久力にはなっていないし、持久走ができないと字数スコアを伸ばすことはできないので、結局のところ承認欲求は満たされないわけです。

 だからできるだけ承認欲求からは距離をおきたいと思っているし、スコアラーを目指したくない。自分が「無理をしてまでスコアをもぎ取りに行く」ような人間だと知っているので、体やメンタルを壊さないように自衛するためには、承認欲求をもたないようにするしかない。
 誰かのために行う行為には、その誰かから正当な報酬がもらえるという「仕事」である必要があります。ふぁぼやブクマはそれです。けれどそれをどんどん得ているとどんどん欲しくなってしまう。依存してしまう。依存してはならない。それらをベースとした考え方をやめなくてはならない。






 自分の尺を超えたものを欲しがるという意味で、承認欲求と嫉妬はたぶん地続きです。
 そこから脱するためには、自分の尺を理解する、わきまえる、ということが必要になってくるんだと思う。

「俺だってあれくらい」というのは、つまり自分の尺を大きく見積りすぎているということで、しかしであるにもかかわらず「どうせできねーよ」という、自分の尺を小さく見積りすぎている側面もある、結局のところ、「どうせできねー」かどうかは、やってみないとわからない。だからやっぱり「本当にできないかどうかチャレンジしてみる」しかないんじゃないか。「俺だってあれくらい」をブラックボックスのなかにとじこめてシュレディンガーの成功経験を弄んでいる限り、もやもやした気持ちはずっと続くのではないか。
 できなかったらできなかったでいいんです。
 俺にはここまでの尺がある、それはもしかしたらもうちょっと伸ばせるかもしれない、ということが、把握できればいいんです。

 尺が小さいことはべつに恥ずかしいことではないんですよ。字数が伸びない書くのが遅い、全然恥ずかしいことではない、世の中には数万字の小説「しか」かけない作家もいれば、わたしの好きなレイモンド・カーヴァーのように、短編小説を永遠に書き直し続ける作家もいます。
 カーヴァーのエッセイ「ファイアズ(炎)」は名著です。読みましょう。仕事と子育てに追いまくられたカーヴァーが絶望して「俺には長編小説が書けねえよ!もう!それで!いい!!!!書けないこのクソい生活こそが俺の創作意欲の炎だ!!!!」って絶叫しています。
 「あの人は天才で俺はそうじゃない」と羨むよりも、「俺にできることはなにとなにとなにか」「その枠の中で、どれだけ良いものを書けるか」っていうほうに考え方をシフトできないか。自分自身の持つ武器をもっと信じてやることはできないか。そしてそれが無理なら、新しい武器を手に入れる方法を具体的に考えていくことはできないか。






 で、自分の尺のなかで戦うためには、自分についてよく知ることと、そしてそれをコントロールすることが必要になってきます。ワートリの5巻がまさにそういう話でした。
 自分についてよく知るための具体的な方法というのはもう、書いてみるしかないんですけど、書き続けているうちにやっぱりまた承認欲求なり嫉妬なり、あと無気力だとかそういう、ノイズが襲ってくることになる。
 なのでノイズに対処する方が大きくなると思うんですが、わたしがやっているのはもう、通知を見ない、pixivは見ない、自分とはなんの関わりもないものだと考える、そうして自分の世界に没入する、というやり方ですが、これを人に勧めるわけにもいかないな……。極端だからな……。
 それをもうちょっとマイルドにしていくと、
・ルールを設けて、そのルールを守ること(一日の目標字数ないし目標作業時間を定めるとか)。
・信頼できる相手とのちいさな対話のみを活力にし、無数の数字はできるだけ気にしないこと。
・自分の作品の力を信じること。
 みたいな感じになっていくのかなあと思う。

 自分を守って、自分の作品を守っていけるのは、自分だけなんですよ。短かろうと長かろうと、できがよかろうと悪かろうと、とにかく自分の作品は自分にしか書けないもので、そいつがうまく世の中に出ていけるように必死で守ってやれるのは、自分だけなんです。
 「書けない自分はクソ」になって投げ出されてしまう作品が発生しないように、モチベーション管理が必要で、モチベーションとは内的報酬と外的報酬から発生します。
 この報酬を、変な形で受け取らないようにすること。
 自分を肯定するための理由の難易度を上げすぎないこと、これがただしい内的報酬の受け取り方であり、
 自分を肯定するもしくは否定する声の全てを受け取らないこと、これがただしい外的報酬の受け取り方です。
 そして自分を信じよう。






 クソみたいにマッチョなことしか言えてない気がする!
 俺の小説創作、難しいしそこまで考えられないと評判を頂いており、全然「ゼロから出来る」系になってないっぽいのですが、まあそれならそれでリタイア組が奮起しなおすアレでやっていきますかね……。

 「人生にあるのは前進の力だけなんだ」と、『夜間飛行』の主人公も言っています。
 前進しようぜ。






>プロットメイキングありがとうございます。そこで質問なのですが…。ここまでしっかりプロットが立ててあると、それでもう満足して書く気にならなかったりしますか?

 疲れてそうなるんじゃないかと思ってたんですけどね、いま、めっちゃ書きたいです!
 わたし結局物語構成を立てるより本文書くほうが圧倒的に好きなので、裏庭で猫をかまっている出水がどんなふうに見えたかとか、窓の外より太刀川の首筋を見ている出水だとか、奈良坂がエプロンするのかしないのかするとしたらそれは出水が買ってやったんじゃないかとか、そういう細かいレベルのことをいまどんどん書きたいし、どんどん書きたくなるためにプロットというのはあるんだなーと思っています。
 しかしいま不眠症が深刻すぎて小説書くどころじゃないんですけどでも書きたい。早く書きたいです!

 プロット、どんなに精密に立ててもなにもかもぜんぶを書き込むことはできないわけで(もっとも乙一は本文稿とかわらんレベルのプロットを立てるらしいですが)、その余白をいかにして埋めていくかっていうのにわたしは燃えるみたいだ。
 しかしプロット立てたらかけなくなる人はそのへんにあまり燃えないんだと思うので、なんかこう、対応を考えましょう。
posted by かなむら at 07:43| 広島 ☀| (二次)創作お役立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

循環4(プロットメイキングだということくらいタイトルに入れろ)

 ぎりぎりなんとか四時間睡眠を確保したけど今日死んでることをおもうと先に死にたい。眠れないから仕事ができないとか自己管理の難でしかないしなー。あああ。





>好きな本の一行目と最後の行を紹介して下さい


BtwZrpyCAAQ4nel.jpgポール・オースター『偶然の音楽』より






ホーリーガーデンでワートリと考えて「循環」プロットができた(大意)と拝見しました。他にも〜で黒バス二次創作。〜でデュラみたいな、このカプをあの商業本の雰囲気で読みたいというのはありますか?


 それそのもののプロットでどうにか、というのはイザシズで書いた『あしながおじさんの恋路』であしながおじさんパラレルをやったくらいだと思いますが、文体上に関しては、デジモン初期に書いてたヒカリ関係の話は江國香織『すみれの花の砂糖漬け』と山本道子『ベティさんの椅子』、NARUTOの時は『悉無律』がチャンドラー『ロング・グッドバイ』で『これはおひさま』が梨木香歩『からくりからくさ』、デュラ『シズちゃんがベッドを壊した話』がユーディット・ヘルマン『幽霊コレクター』でした。でしたというか、意識はしてましたがうまくいったかどうかはまあアレというやつです……。
 商業作家の書いたアレが読みたいみたいな話はしょっちゅうやってるけど実際真似して書く事はそういえばあんまりないな……もっとやってもいいだろうけど、模写結構、め、めんどくさい……。
 循環も順調に江國香織が書きそうにない話になってるしさ!






 循環プロットメイキングの続きです。これまで→1 2 3

 循環の全体のプロットをえいやっとやっつけました。

1、猫の話
2、都市循環バス
3、消えた出水を見つけ出す佐鳥
4、奈良坂と出水
5、米屋と三輪と出水
6、出水と佐鳥
7、都市循環バス2
8、奈良坂と出水2
9、米屋と出水
10、都市循環バス3、そして佐鳥と出水と太刀川
11、奈良坂と出水と三輪
12、出水と佐鳥
13、エピローグ、全員

という構成をバーっと立てたのですが、さてこれがどうしてこうなるのかをどう説明しましょうかね……。説明……できると……思います……。






 まず、視点キャラ=読者にとって親和性の高いキャラとして佐鳥を置いているので、佐鳥にとって理解できる情報から開示していく、同時に佐鳥にとっての謎も開示していくという、佐鳥視点ミステリ小説としての構造も出していく。つってわたしミステリあまり詳しくないのでミステリの構造がちゃんと喋れないのですが、とりあえず謎、そして謎を解いていく、という構造として、佐鳥視点を作る。

 そして佐鳥にとっての謎としての、太刀川と出水の関係、出水と三輪隊の関係という情報を徐々に出す。

 話の構造は基本的に、
 佐鳥と出水
 太刀川と出水
 三輪隊
 米屋と三輪
 三輪隊
 太刀川と出水
 佐鳥と出水

 という入れ子構成で作っていて、なぜかというと、話の視点は佐鳥と出水なんだけど、話の格になるのは米屋と三輪がゴタゴタして元鞘に収まる、という部分で、それが佐鳥=読者にとって最も遠い謎なので、そこにゆっくり迫れるように話を組んでいく。
 出水は米三輪にとって通過点であること、通過点として扱われる出水に同情する奈良坂、通過点以上の存在として出水を扱おうとする佐鳥、という話で、太刀川はノイズというか話を引っ掻き回す要因で、佐鳥にとっては太刀川が目前の敵として見えているんだけど、問題はもう少し深い、という構成の話にする。(ので太刀川の話は早めに出す)

 太刀川と奈良坂は敵対者であったり援助者であったりする、太刀川は憎悪ゆえに佐出を救おうとし、奈良坂は愛ゆえに出水を破壊しようとする。






という構成分析の結果もうちょっと詳しく立てたプロットが以下です。

1、承前
佐鳥と出水と猫

2、謎1
循環バス1、過去太刀川と出水のあいだになにがあったのか、そして彼らの現在は何なのか

3、事件
寮を出て一人暮らしを始める出水を探す佐鳥

4、謎1の開示
出水の家で出水に食事を作る奈良坂視点による過去の出来事の解説、そして奈良坂から見た歪みを佐鳥に警告する奈良坂

5、謎2
米三輪の関係の不穏さ、米三輪にヤリ部屋を提供することで巻き込まれつつある出水

6、ここまでの整理
佐鳥と出水のキャッキャうふふと同時に出水のアンタッチャブルの提示

7、太刀川の介入
循環バス2、佐鳥と出水の関係に気づいて言及する太刀川、出水をコントロールしようとする太刀川と、それを喜んで佐鳥に突然冷たく当たり始める出水

8、事態の混乱
混乱しつつある事態をふたたび整理する奈良坂、佐鳥に何をしたのか、米屋と三輪の責任を取れるのかと問い詰める奈良坂とヘラヘラしているだけの出水

9、事態の更なる混乱
三輪のそばでは眠れなくなった米屋が寮を出てきて、出水の家に住みつきはじめる。三輪を案じる奈良坂は佐鳥に連絡を取るが、怖気づく佐鳥。

10、破壊的事件
循環バス3、佐鳥を煽って出水と太刀川と3Pに持ち込み、「それができたらそいつをおまえに払い下げてやる」という佐鳥に太刀川、太刀川による出水の完全破壊(しかしそれは同時に愛情である)

11、クライマックス
 米屋が頼み込んだので三輪が出水と寝ているところに奈良坂が踏み込んできて、三輪と出水を殺そうとするが、殺せない(事態の収拾を破壊的行動で行おうとするが遂行できない奈良坂)

13、事態の収拾
出水に別れを切り出そうとするが、上手く別れられないまま、ふたりで一緒に家に帰る佐出

14、エピローグ
太刀川と出水がデートをしなくなって佐鳥と出水が一緒にくらしはじめたほかはなにひとつ変わらないまま最初に戻っただけのように続いていく彼らの日常


以上です!






 書いてみるとこれ、奈良坂と佐鳥のW語り手ですね……。
 佐鳥サイドがミステリ仕立て、奈良坂サイドがサスペンス仕立てになっている感じだと思います。やばいどっちもよくわかんない。
 奈良坂と佐鳥がW語り手で、出水と米屋がW主人公だな。

 まあとりあえずこれでいくということで……これを各章ひとつひとつエピソードを抽出してまたプロットを立てていきます……終わらないプロット地獄!!!
 とにかくともすれば17歳メインになりがちな話になると思うので佐鳥シナリオを忘れないようにするために佐鳥と嵐山隊とか佐鳥と16歳とかのシーンを多めに入れていきたいと思います、17歳のインモラルとの対比も兼ねて(あと太刀川と嵐山の対比)。
 あと当奈良を地味にちまちま出していきたい。

 で、1章15000字でA5判200ページくらいじゃねって話なんですけど。ハハハハハ誰が書くんだよ。俺だよ!!!!!!






 というところで循環プロットメイキングはひとまず終わりにします。
 どういうネタを拾ってどういうネタは捨てるとか、どういうネタがとっつきやすくてどういうネタはあとに置いたほうがいいとか、そういう話を、このメイキングをたたき台にしてやれたらイイナーと思っていますが、まあうん。
 つかれた……。
 プロットなんて!!!!!!
posted by かなむら at 11:33| 広島 | →ワトリ二次創作『循環する街』メイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月29日

万年筆を23本買った話(欲望note3)

 ついに23本の万年筆のなかから5本ほどリストラ対象休眠に入る子を選んでいました。鬱。ご、ごめんねぇ……また遊ぼうねぇ……。

 そもそもなんで万年筆多頭飼いになったかというと、
2/6 仕事のモチベーションがぽっきり折れる(分かる人には分かるバターケーキの日だ!リンク貼らないぞ!)
2/20 カミュ祭壇作りに本気出し始める
2/24 アウロラスタイルさんをお勧めされる
3/11 カレンさんお迎え
3/18 家出
3/19 ごばっと万年筆をお迎え←このへんからブーストがかかった
 という経緯だったようです(いま当時の日記を読み返している)。

 万年筆をはじめて買ったのはカレンさんで、カクノMちゃんと一緒に買いました。
 このあと、通販でファーバーカステルスクールとクリアーキャンディドットてんとう虫、セーラージェントルインク奥山と常磐松を買った(正確な日付が不明、あとでメール漁ってみます)
 この直後家出をして、家出中の3/19にプレピーとカクノFとクリアーキャンディイチゴミルクとハイエースネオとツイストを買った。

 このへんから狂い始めている。

 このあと家には帰ったんですができるだけ家族と顔を合わせないようにしていて、その合間に万単位で文具を買っています。シールとかマスキングテープとかを。
 あと、グレート・ギャツビーを読んで泣いてる頻度が高い。

 4/5くらいから何かふっきれたらしく、高価格帯万年筆のなにが具体的に欲しいのかということを日記に書き連ね始めている。
 4/8にセーラージェントルインクの廃盤色、シャーベットブルーとシャーベットミントを友人が実店舗でみつけたので確保してもらう。 
 注文した日付はよくわからないけど4/11にプロフィットジュニアが届いているので同じ時にハイエースネオスケルトン×2も届いているはず。
 4/13、どこを探しても見つからなかったラミーサファリアクアマリンを発見して勢いで買う。

 このへんからずっと「欲望に殺される」みたいな鬱状態に入ってるんだけど買い物がやめられなくなっている。

 4/18、バーディーペット×2が届いているので三日前くらいに注文したんじゃないかな……。

 4/30、あまりにも仕事つらくてプレピーをもう一本増やす。
 あと「滑り込みで買ってしまって4月は8本」と言っていた覚えがあるのでシェーファーデルタグリップを注文したのがこのへんのはず。

 まあこのへんまでが「物欲で死んでた」時期だと言っていいんじゃないかと思います……。

 5月は赤毛のアンずっと読んでて万年筆はたぶんデスクペンと百均リビエールしか買ってないはずで、6月は地味に毎日300円積み立ててた貯金が溜まったのでアウロラスタイルさんを買ってます。
 6月に仕事が忙しくなったストレスで嘔吐下痢で死んだあと突然躁転してワートリにハマって、ワートリにハマったついでにエラボー(が嵐山くんだとさんざん騒いで)買ったら万年筆に対する物欲が消滅しました。
 そのあと、友人がデッドストックのプラチナポケットを発掘してきてくれたので代理購入してもらって、それで最後。


 というわけで今に至り、エラボー先生と遊ぶのに忙しくてほかの子5本ほどリストラしようとしています。 カレン・エラボー・プラチナポケット・スタイル・サファリという布陣が完璧にできてしまったのでほかの子が入る余地がなくなってしまったんですよね……。






 とにかくもう物欲とのあくなき格闘という感じで、鬱になったり深刻に気分が悪くなったりパニック発作を起こしたりしながら必死で買い物をしていたという感じで、なんだったのかと思うんですけど(万年筆以外の文具類もすごい量買っています)、基本的には、

 わたくしとは何によって作られるのかという確認

 そして、

 復讐

 だったんだと思います。
 契機としては家出をきっかけに物欲がブーストしたわけで、家出をするというのは自分を守っているはずのものが信頼できなくなるということで、信頼できなくなった限り、信頼できるなにかを全力で手に入れて構築しなくてはならなかった。「自分を守るものとは何か」を探し求めた結果、出かけている先でも使えて小説や日記を書く役に立ってなによりロマンティックな物質であるところの万年筆に救いを求める結果になったのだと思います。

 物欲というのは、性欲がそうであるように、食欲がそうであるように、本来的な意味に乗せて、「寂しいから」という理由で発生することがあって、さびしいというのは、「世界と接続したい」ということであるとおもう。
 でもそれはさびしさという欲望であってほかの欲望ではないのだけれど、さびしさが満たされない限り、ほかの欲望でどうにかしていくしかない、ひとつの欲望に蓋をするためにべつの欲望を持ってきて、それをひとつひとつ処理していくしかない。
 でも、たとえば自殺志願者がだれかになにかをしてもらうことで死を免れることはけっしてできないのとおなじように、なにかを食べることで空腹以外のなにかが満たされることはない。
 それを満たすためには、あるいは、インスタントではないべつの何か、時間とか、経験とか、そういうものを食べることによってしか満たされない。
 みたされるということは、消費によって起こるのではなく、消費という行為、または消費によって生み出される行為によって起こる。

「つながりたい」に対して「つながればいい」を返すのは簡単なことです。けれどそれを実行することのどれだけ難しいことか。あるいはそれを安易に実行することでどれだけ憎しみや傷が生まれることか。だから「つながりたくても」「つながれない」ときのことを考えなくてはならない。
 これはひとりで生きていくという話ではありません。いわば「人間は皆仮面ライダーなんだよ」という話です。別々の正義と別々の生を生きていくしかないのです。だからつながれない。うまくいけばつながれるかもしれない。でもラッキーを待っていられないから、つながれないことを前提として生きていくしかない。

 正当化できる欲望なんてありません。
 ただ欲望を抱くことによってしか生きられないのなら、抱きつづけるしかない。自分の世界を自分で作り上げ続けるしかない。きれいなものに囲まれて、それを自分で選択して決定したということの重圧に吐き気をもよしても、そのことを受け入れて、自分の欲望とともに生きていくしかない。
posted by かなむら at 07:14| 広島 ☁| 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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