2014年07月23日

この当奈良がすごい2014summerおよびステレオタイプについて

 当奈良は唐茄子に似ている(3文字まで一致している)。

 ここんとこ寝てなすぎだったので昨日ささいなことで「じゃああんたをいまからぶっ(自主規制)」くらいのことを口走りそうになったのでこれはアカンと思って、今日も5時間でスパッと起きたんですが3時間寝足しました。おかげでブログを書く時間がありません。あと20分くらいしかないけどいざとなったら途中投稿したらいいし本当にいざとなったら一本バス遅らせれば(一本遅らせると30分後という程度の田舎です)いいんだから……。

 今朝5時に起きたあと一時間半かけてTwitterで書き散らかした当奈良のネタまとめを作っていました。自分でもアホかと思いました。でもこれでかなむらさんがやった当奈良の話がいちいち探さなくてもいつでも読めるぞ!




 7/12から即興小説やTwitterで毎日当奈良を書いてて、「当奈良は軽率に萌えられる枠で考えててもお腹痛くならなくてフワフワしてられる貴重なカップリングだから理論武装しないままこうやって静かに当奈良を書いていくんだ……」とか言ってました。わたしのハマるカップリングはだいたいわたしのケツを決壊させたり頭を低くして呻かせたりするのでつらくないカップリングを確保したいからでも深く考えるとけっこうつらいところがあるかもしれないから考えないぞ! とか言っていた。

 なんですけど、7/20の深夜にパニック発作がきまして、どうもそのパニックは即興のスコアが気になって気持ち悪いということだったようでした。わたしは本当に群衆というのが怖くて数値化された個性のない群衆となると本当に気持ち悪くてだめなのでSNSスコアゲーム本当に向いてないですね。

 オリジナルの方は誰が読もうが読むまいが評価されようがされまいがわりとどうでもいいというか書きあがったら他人事という感じなんですけど。あとは自分がこのコンテンツをいかに売っていくかみたいな。なんで二次創作はそうなれないんだろうな……。でもわたしの友人も似たようなことを言っているのでそういう種類の人間なんだと思う……
 その友人とはもしや想像上の……存在します!HUBでアブサン飲んでました!!アブサンとかサッと思いつく種類の酒ではないから実在する!!
 閑話休題。

 とにかく7/20にパニックが来たので当奈良の構造分析をやりました。困ったときには理論武装をするに限る。

 そして理論武装をした結果、見事に

 当奈良かわいい

 を覚醒して今に至ります。




 俺がなんでこんなことをいちいちエントリにしてるかというと何がどうなってカップリングにハマるのかということとカップリングの構造分析のやりかたを書いておくと役に立つだろうと思っているからであって俺がアホだという話をしたいわけではないんだ!
 し、してもいいけど。CP厨でいてよかあったなあ幸せだなあニヤニヤしちゃうよ!!!終始ニヤニヤしちゃう!みんなに「楽しそうだね」って言われちゃう!!




 今更ですが当奈良とは何かという話をします。
 当奈良とは葦原大介『ワールドトリガー』に登場する当真勇(18)×奈良坂透(17)のカップリングで、ふたりともスナイパーで、作中戦闘組織のスナイパーナンバー1(が当真くん)とナンバー2(が奈良坂)です。
 ちなみにふたりとも全然メインキャラではなく、全台詞を書き出しても30分くらいで終わると思います。六巻現在までで(コミックス派です)当真くんは一回だけ大コマを貰いました。奈良坂はもっぱら状況説明要員をやっています。考えてみたら奈良坂はいまんとこ遊真ちゃん(※主人公)の片腕をスナイプしただけだな。連載分でなんか派手な仕事してそう。

 で、当奈良が絡んでるのは一ページだけです。
 4巻32ページだけです。

 なんで4巻32ページにこんなに萌えてるのかとはわたくしもずっと疑問を抱いてはいたんだ。

 でもすごいんですよ。
「当真さん、あんたも少しは撃ったらどうだ?」
 なんですよ。奈良坂の当真くんへの一言目が。

 そもそもタメ口なんですよ。先輩なのに。いや奈良坂が先輩に対して常にタメ口である可能性はある(ほかの先輩と喋ったシーンがない)んだけど。

 まず「当真さん」ですよ。「先輩」じゃないんですよ。公式見解として「基本的に中高生は学年の先輩を先輩と呼ぶ」というのが発表されているにも関わらず「当真さん」なんですよ。まあでもこれは出水くんも「当真さん」って呼んでるからまあそういうキャラだということでもいい。ていうか先輩って言いたいようなキャラではないのはまあわかる。

 そんで「あんた」なんですよ。奈良坂くんここまでかなりキッチリしたマジメなキャラっぽい感じで作ってきてるのに「あんた」なんですよ。先輩に。

 そんで「少しは撃ったらどうだ?」なんですよ。「あんたも少しは撃ったらどうだ?」。「あんたが働かないのは知ってるけど働く姿勢くらい見せたらどうだ」みたいなやつですよ。「当真さん協力してください」とかじゃなくて。「お願いします」とかじゃなくて。「あんたも少しは撃ったらどうだ?」
 いやはやですよ!!!なんでそんなに上から目線なんだよ!!

 葦原先生はキャラの距離感を描くのが本当にお上手だなあと思います!!

 それで「当真さん、あんたも少しは撃ったらどうだ?」って言われた当真くんがすげー楽しそうにぺらぺら喋るんですけど、
「ああ〜〜? 外れる弾なんか撃てるかよ スナイパーとしてのプライドが許さねー 『かわされるのは仕方ない?』 そんなだからいつまでたってもナンバー2なんだよおまえは そんなわけで俺は三輪たちの方に行くぜ 迅さんはおまえらに任せた」
 なんですけど、まあ言っていることは「当たらないことが事前にわかっている標的を狙うのは癪なので俺は別の標的を狙うのであとよろしく」なんですけど、おまえ、おまえね、
  • つっこまれるまで移動しないでダラダラしてた
  • 奈良坂につっこまれて奈良坂のマウントを取りに来る
  • ヤーイ万年二位とか言ってから移動する
 馬鹿!!!!!!!!!

 4巻32ページはすごかった。すごかったんだよ。当奈良はすごかった。そしてこの一ページであらゆることを描き尽くしてしまった葦原先生すごいな……。奈良坂が当真くんにコンプレックスを抱いていることを当真くんは知っていて面白がっているということを一ページで描き尽くしてしまっていて葦原先生はすごいなあ……。さらっとチートスナイパーをやっているように見える奈良坂はけっこうスナイパートップになれないことにというかトップをあの男に、よりにもよってこの男に奪われていることに対していろいろと思うところあるんだな……。ていうかべつにそれは気にならないとしても当真くんに万年二位呼ばわりされることに対して純粋に腹を立ててんだな……。かわいいな……。

 かわいいな……。





 作品読解を経て解釈がステレオタイプに至るのと、はじめからステレオタイプとしてキャラクターを捉えるのは違うという話を書きたいと思ってるんだけど難しい。はじめからステレオタイプとしてキャラクターを捉えるのがまずいという話ではなくてわたしがステレオタイプ嫌いだという話なんですけど。

 ステレオタイプというのはいわゆる性格類型、「紋切り型」「型にはまった」という意味の言葉です。要するにスーパー攻様とか白痴受とかもステレオタイプの区分のひとつです。

 当奈良というのはいわゆるステレオタイプとしての不良と優等生/天才と秀才の枠内の物語で、なんだけど、そういう物語がそこに存在するということを提示するのが、キャラクターを個別にそれなりに描いたあとであったというのはけっこう大きいと思っている。
 奈良坂は三輪隊の生真面目なスナイパーとして、当真くんはいらんこと言いのかわいいリーゼントとして現れて、しかるのちに当真と奈良坂の関係がバンと、……まるで古き良き寄宿学校JUNEみたいな!!超ステレオタイプに集約される瞬間をああやって描かれているということが重要で、ステレオタイプに落とし込むということがエモさに成りうるということだと思う。エモさっていうか、キャラクターの方向性、それまでモブキャラでしかなかったキャラクターにはっきりとした性格を与えるために、ステレオタイプを活用するというやり方。

 だから、つまり当奈良は、ぼんやりとしたキャラクター造形がステレオタイプの利用によって際立ったキャラクター造形になった例なのであって、それは最終的にはステレオタイプなんだけど、それは「ステレオタイプを利用した」のであって「ステレオタイプを描いた」わけではないわけですね。
 「ステレオタイプを描くためにステレオタイプを描く」のはあかんとわたしは思うんだけど(でもそれで成り立つ物語も十分にあるので全否定するものではない)、フォームの決まったものというのは強度が高いから、そういうものを利用することによって物語の強度を上げることができるし、ステレオタイプにいったん落とし込むことによってはっきりと「これはこういう話です」という枠を明示することができる。


 みたいなことを考えながら当奈良に萌えています。楽しいね。楽しいけど楽しい間は頭がいまいち明晰ではないのだった。
 ステレオタイプに関してはもうちょっと整理した話をそのうちやりたいと思います。すまん。
posted by かなむら at 11:55| 広島 🌁| 感想とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

嵐山准の都市防衛という単純で素朴なドグマ、あと嵐山くんエントリなのに迅の話のほうが長い

>かなむらさんの思う嵐山准像について教えてください。

 この質問を貰ったのが23日前で、そこからだいぶん嵐山くんに関する考え方も変わったんですけど、いいかげんまとめておかないときりがなく延々と嵐山くん観がこれからも変遷していくんじゃないかと思えてならないのでいいかげん書きおこしておく。
 嵐山准というのは週刊少年ジャンプ連載中の葦原大介『ワールドトリガー』に登場するキャラクターで19歳の大学生で、ワートリというのはざっくりいうと異世界からやってくる敵と戦う組織の話で戦闘員は少年少女という話なんですが、嵐山くんはその組織「ボーダー」の広報用マスコットキャラクターチームを率いている隊長です。
 かなむらさんのなかの嵐山くんは




































 という経緯を辿りました。ごめん貼り方理解したから貼るの楽しすぎて貼りすぎた。

 つうかわたくし、迅担のつもりだったんですが、迅と嵐山くんとどっちが本命なのかもはやよくわからないんですが、あえてしんどい人生を選んでいるおまえの人生はどうなのよと顔をしかめているのが迅で、キャーカッコイイ!しているのが嵐山くんで、これやっぱわかんないですねこじらせてるのが迅でストレートに好きなのが嵐山くんです。

 嵐山くんの思想を端緒に表すのは4巻の迅に関わる発言まわりだと思うので、そのへんから嵐山准とは何かという話をするのは(わたしが迅と嵐山くんの関係を贔屓しているという側面を抜きにしても)読み方としてはズレてないと思う。



 わたしが迅にすっ転んだのは「大丈夫だ……未来はもう動き出してる……」なんですけど、あれな、「迅が風刃を手放したことに傷ついていないわけではない(風間の言うとおり、それは迅にとって非常に大切なものだった)」が「それでも未来はもう動き出しているから迅はその決断を後悔していない」ということをあの数コマで描ききってしまう凄いシーンだと思うんですが、葦原大介そういう凝縮性高いシーンを描くのが非常にうまいよなあと思うんですが、なんていうかあれをみた瞬間からこう、「迅悠一は未来のために生きている」ということですよね、「自分に見えている未来を「動かす」ために生きている」ということがですね、「未来が動き出している」から「大丈夫」であるがゆえにきちんと傷つくことを放擲して笑っていられるというのが、まあ率直に言ってしんどい。それは迅自身が選んだ生き方ではあるんだけど。

 それに併せて、そもそも、風刃に関する迅の物語が凄い。
 風刃は遊真とは違って迅ひとりに与えられた黒トリガーではなくて、直属の弟子であったにもかかわらず迅はそれを我が手に収めるために、風間の言葉で借りれば「あれほど執着し」て、宇佐美の言葉を借りれば「あっという間に」「圧勝しちゃった」。それを踏まえて、「形見を手放したくらいで最上さんは怒んないよ」「むしろボーダー同士の喧嘩が収まって喜んでるだろ」というのがあって、ここから得られる情報がみっつ。
 ひとつは最上は迅を特別扱いするような師匠ではなかったこと(ただ風刃は迅のサイドエフェクトとマッチングが完璧なので、迅と最上はすごく相性の良い関係だったのもたしかだと思う)と、ボーダー内の和を重んじる人だったということと、「20人以上に適合する」くらい器の大きな人だったということ、悪い言い方をすれば八方美人な人だったとも言えると思う。
 そしてもうひとつは、最上は迅ひとりを選ばなかった(もしくは迅に選択の権利を与えた)としても、迅にとっては最上は唯一無二の存在であり、執着して必死に奪い取らなくてはならなかった。自分が開発に関わったスコーピオンを手放しても。
 そして三つ目、それほどに執着したにもかかわらず、迅は「俺が風刃を手放しても最上さんは怒らない、むしろ喜ぶだろう」って言うんですよね。

 迅の最上に対する言及は6巻現在(コミックス派です)「最上さんは怒んないよ」だけだと思うんですが、にもかかわらず、迅にとって最上というのがどれほど大きな存在かということはこれだけで十分よくわかると思う。
 そして、わたしは、迅が「動かそうとしている未来」、暗躍することで不確定未来を良い方に動かそうと尽力しているその未来は、最上が迅に描いてみせた未来なのではないかと思うんです。

 迅は母親を近界民に殺されているけれど、近界民を憎んでいない、なぜ憎まずにいられたかというと、それはたぶん最上と出会ったからであり、最上から思想教育を受けたからだと思う。空閑有吾がボーダーという組織を近界同士の和のために存在する組織だと遊真に語ったこと、そして空閑が最上を頼れと遊真に言ったことは、すなわち空閑と遊真の思想が一致していたこと、彼らが存命していた頃のボーダーはそういう組織だった(少なくともそういう側面を強く押し出していくことのできる組織だった)ということである。
 つまり迅は「近界民を憎むことではなく和すること」を最上から教育されている。
 そしてそれゆえに、迅は、「傷ついたとしても、おれに見えている未来を最善の形にするべく生きなくてはならない」というアイデンティファイを行ったんじゃないかと思います。それが「最上さんが喜ぶ」ことだから。
 迅は最上と出会ったおかげで近界民に対する偏見を持たずに育つことができたわけだけど、同時に迅はなにかを憎んだり上手に傷ついたりすることができなくなったよね、と思っている。だからこそ三輪に「おまえを風刃保有者として推薦する」というあれは、迅が三輪に、迅が殺すしかなかった感情の一部を託しているということではないかと思ってるんですけどあれどうなるんだろうな……。

 最上が与えた思想教育という「過去」を「未来」にするために、美化された過去としての未来を見つめながら、ひたすらに未来に奉仕して生きている。ジェイ・ギャツビーに近いものを感じる。しかし迅がチートなのはジェイや嶺二が「見えていない未来」のために無為に戦わなくてはならないことに対し、迅は未来が、確定したものは全て見えているということです。迅に見えている未来は正しい。だから迅が未来に奉仕しつづけることは正しいし、だれも迅がサイドエフェクトを持ち出した時言い返せない、覆したいと言った太刀川も結局叩き伏せられてしまった。
 あとついでに言うと、「サイドエフェクトを使う」という言い方をしていることもあるのでどうだかちょっとわからんなとも思うんですが、迅、予知を「選択的に見て」いるわけじゃなくて、「常に受信し続けている」のではないかという気がしていて、もしそうなのだとするとその人生は地獄ですねと思ってしんどい。少なくとも、母親や最上の死を予知した上で止められなかった可能性があるわけで……。

 そして最上を超えたところで迅の唯一抱いた願望が「遊真に楽しいことを教えてやりたい」という超素朴なところにあって、しかもその理由が「ランク戦超楽しかったから遊真もああいうことしたら楽しくなると思う」であるというこれがまた超素朴な。
 あいつミステリアス気取ってるけど脳内ほんとうに超素朴だよね……。切なくなるほどだよ……。



 まあそういう男ですよねという前提があって、嵐山くんの「迅は意味のないことはしない男だ」の無慈悲なまでの正鵠ですよ。

 嵐山くんの言うことってわりとこう常に無慈悲なまでに、残酷なほどに正鵠なんですよね。正鵠なうえ、その説明をその時点ではしないんですよ。それが、木虎に対する「おまえならできるか?」と三輪くんに対する「迅は意味のないことはしない男だ」で、どっちも的確に相手の感情を抉っていて、抉っているうえに、最終的には彼らは嵐山くんに「教育」されてるんですよ。家庭教師のお兄さんだ!!ってわたし一時期騒いでましたが、嵐山くんは木虎と三輪に、まず問題を提示し、その上でその解き方は彼らに任せて自分自身で気づくように促している。

 嵐山くんの家庭教師のお兄さんというか指導者としての方向性は明確かつ的確で、「萎縮している修を肯定し、よくやったと褒める」「ちょっと天狗になってる木虎が修をライバル視するように仕向け、鼻っ柱を折る」「三輪の強迫観念的思想をいったん肯定した上でやるだけやって、そのあとでおもむろに迅と三輪の類似性についての情報を提供することで三輪の思想をコントロールする」っていうことをきっちりやりきっていて、あの人はやっぱり頭良いんだと思う。

 ただ、木虎はライバル視がすぎるあまり逸って単独行動を取り、イルガーの自爆に巻き込まれて死ぬかもしれなかったわけで、嵐山くんの教育的指導は的確であると同時にスパルタでもあるよねと思う。

 5巻のおまけで成績シートが発表されたことにより、嵐山くんってルックス好感度高くて性格が良くてボーダー隊員としての能力も高くて学業成績も良いという完璧超人であることが明らかになってしまったわけですが、その上で弟妹を溺愛しているという情報さえ戦うアイドルとしてもう完璧としか言いようがないんですが、ああいう男が弟妹を無条件ノーリターンで溺愛するというのはほとんど暴力だよなそれ。
 弟妹からしたら嵐山准を超えることは永遠にできないかもしれないと思いながら、嵐山くんに愛されなくてはならなくて、しかも嵐山くんは街のアイドルで偶像なのであれが偶像であるがゆえにガチで憎いと口に出すことも憚られる存在であるというのは、あれしんどいだろうなあと思います。ふたりともよく頑張っている……。主将と副キャプテン……。

 だから、嵐山くんは相手をまず全肯定するけど、それってべつにやさしくないんですよ。
 おまえがおまえであるということが俺にはわかっている、でも、その上でおまえがなにを選ぶかはおまえの問題だ、っていうやり方なんです。それはけっこうスパルタな話なんで、時枝はわかっててフォローしてやるんだろうなと思う(あと木虎に時枝が待ったをかけたのは隊長がかけるよりもあたりがソフトになって良かったのでたぶんそのへんアイコンタクトでムニャムニャ)(嵐時のバディ力の高さ……)。

 迅を評して「意味のないことはしない男だ」っていうのは、そういう文脈を踏まえて考えると、嵐山くんは「迅が最上さんという絶対のルールに縛られていて、その枠のなかでしか生きられないことを知っていて、その上で迅は予知をしているから、予知に対して最上さんルールを適用してボーダーという組織に対して何らかの有益な行動をとることは自明である」っていうことをな、嵐山くんは、知っていたのではないかと……。
 そしてそれはつまり、嵐山くんは迅がどんな生き方をしても自分を(ボーダーを)裏切らないと知っているということである。
 迅のしんどい生き方を、嵐山くんは完全にそれはそういうものとしてまるごと肯定しているし、そして迅はもう教育されてボーダーに最適化されたあとの存在なので、肯定する以上の必要がない、ということである。

 嵐山くんは怖い人ですよ!
 ボーダー隊員の鑑であり正鵠なスパルタ家庭教師であり、市民を守るというドグマを伝道するカルト教祖ですよ!



 嵐山くんのアイデンティティは市民を守ることで、当真の言葉を借りれば「正義の味方」なんですけど、それを嵐山くんがどうしてアイデンティファイしたかというと、嵐山くんが弟妹を愛しているからで、つまり嵐山くんのアイデンティティは根本を探れば「ブラコンとシスコンと両立する男」から一ミリも出ていなくて、ただ嵐山くんにとっては市民の全てはイコール弟妹なんだろうと思います。弟妹を守るために市民を守っている。ものすごく単純で素朴な話です。
 だから嵐山くんは市民のために戦うのだし、戦うことが目的ではなく市民を守ることが目的なのだし、だから嵐山隊は忍田派なんだし、嵐山くんはアイドルなんだし、5位のチームと言われても気にしないのです。市民を守ることさえできればそれでいい。





 現在進行形で萌えているジャンルの感想を書くのは苦手だよ! しゃべりたいことが多すぎてわけがわからなくなる!!





 ついでに書いておくと、迅は最上が迅ひとりを選ばなかったと知った瞬間、風刃はたくさんの人に使えると知った瞬間から、風刃を誰かほかの相手に渡すまでの媒介として生きることを決意したのではないかなあいう仮説を持っている。

 迅はスタンドアロンの存在であることを少なくとも6巻までの間はきっちり完遂していて、自分を慕う緑川も、過去の自分を見出してる遊真も、弟子に取らないんですよね。徹底して孤独で自由で、自在に動ける存在として自己を規定している(そして林藤はそれを許している)。
 あとついでにいうと大学に行ってない。わたしボーダー隊員が通っている大学というのは(ほかにやりたい勉強がある連中もいるとは思うが)、おおむね、ボーダー提携機関なのではないかと想像していて、本部防衛に回ったときのためにトリオン研究やトリガー開発っぽいことをみんなやってるんじゃないかと思ってるんですが、迅はそれやってなくて、あくまでも「迅悠一」という役職をやっているんだよな。

 それは、「おれは最上さんを伝達する機関であって最上さんの継承者ではない」という自認をしているからじゃないのかなあ。迅は触媒として行動しているシーンが非常に多いけど、「おれは触媒だ」という自認を決定的に抱いたのは、風刃が迅ひとりを指名しなかったからじゃないのかなあ、って思っている。




迅と嵐山くんは別々の方向から同じ宗教を生きている伝道者であってね、だからふたりでいると肯定以外のなにも発生しないし窓辺で囀ってどこにもいかないんですよ……。
posted by かなむら at 11:06| 広島 ☔| 感想とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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